久遠の太陽ー法華一門の物語

久遠の昔に虚空会(こくうえ)において、同じ時を過ごすことを決め、生まれ合わせた友がいることを皆さんはご存じでしょうか?はるか昔何に命を途(みち・と)するのかも既に誓い合わせています。馴染みのない仏法を、性別・年齢・国籍を問わず。身近な精神性として活用されるよう祈ってやみません。どうかいつも笑顔でいられるように。欲しいものを易々と引き寄せられるように。環境さえも自在に変えゆくことが出来ると気づくように。平和な世界が訪れる時を待って。すべての友・同志にこのページを贈ります。このブログは随筆です。

"究極の祈りとは” ”祈りの極意とは”

三世十方の諸天善神に祈りを届けます。この場合は釈迦・多宝・日天・月天です。
私たちはあくまで個々の命です。その小さな存在のはずの命の奥低に仏界が存在します。普段は忘れている仏性を南無妙法蓮華経という大宇宙に通ずる言葉で呼び顕すのです。では、諸天善神とはいったい何なのでしょう?

 

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諸天善神とはー法華経の行者を守護する善神のこと。民衆・国土を守り、福をもたらす働きをもつ、梵天・帝釈・八幡大菩薩天照大神・四天王をはじめとする一切の諸天・諸菩薩の総称。

「諸天昼夜に、常に法の為の故に、しかも之を衛護す」とあり、法華経の行者の守護を誓っている。

更に、末法法華経である三大秘法の本尊の中にも諸天善神がしたためられている。
        文献 日蓮大聖人御書辞典(池田大作監修 創価学会教学部編)より

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この諸々の善神に助けを求め、援護をしてもらうのです。考えずとも、否応なく一番よい形で、私たち法華経の行者を「昼夜に法のためこれを衛護す」とあるように護り始めます。知識なくとも、詳細を知らずとも心配要りません。諸天善神に只「護り給へ、諸天よ働き給へ」で良いのです。
自分だけで祈ろうとせずに宇宙の善神の力を最大に借りてください。
心を敏感にしていると諸天善神の働く様がよく判るようになってきます。これと同時に障魔の働きも見破るようになるでしょう。障魔(宇宙の反作用の働き)については ”仏法に無駄はない!”のテーマに載せています。

 

では、一切を簡単に叶える冒頭の祈りの極意とは何なのでしょう?

 

広宣流布」。実はこの一言に一切の祈りが包含されます。

 

仏法の究極の目的こそが広宣流布だからです。つまり全体法の目的は広宣流布であるがゆえに、ひとりひとりの祈りは当然この中に含まれてしまいます。
宇宙根底の一切法が仏法です。全生命の法則を説いたものが仏法なので、個人の経済・健康・繁栄から家族、地域、国家、環境、国土、宇宙まですべてがこの中に包含されることとなります。
ですから宇宙の神々である梵天・帝釈さえも動かし行くことが出来るのです。

広宣流布のために…健康に」「広宣流布のために…豊かに」「広宣流布のために…環境をよくしたい」


初めはきっとピンとこないでしょう。
私もそうでした。ピンとくるはずがないのです。個人の満たされない現実を良くしたい、という思いで祈り始める人が殆どです。それでいいのです。ただ、早く祈りを叶えたければ、まず、日々の祈りの前に「広宣流布のために叶え給へ」と形だけでよいので付け加えて下さい。
最初はいわゆる真似です。言葉だけの真似がいつしか本当の事となり、加速度的に祈りを叶えるのが早くなります。宇宙の神々でさえ動くのですから当たり前です。いつしか、自分だけでなく、自分の大切な人だけでなく、見ず知らずの人や国土さえも、本気で幸せにと祈れる自分に変わっていきます。


祈りには三世十方の諸天善神の力を借りましょう。貴方を、貴方の大切な人を。法華経の行者を護るため諸天善神は存在します。


もし、貴方の子が豪雨に今にも呑み込まれそうになったら、どうされますか?手術室にいる家族を自分ではどうすることもできない時、貴方ならどうされるでしょう?手を出すことも出来ず、遠目に見守るしかない状況の中で、人は、祈ることしか出来ない事が多々あります。

 

どう祈りますか??
一切の諸天を瞬間に揺り動かし、貴方の持ちうる一切の生命力により、限られた時間の中で、もう二度とは無い時に、自分の命を使い切るように祈るのではないでしょうか?
それほど一人の命とは尊いのです。
遠慮なく全諸天善神の力を借りましょう。場合によっては命令さえして構いません。「守ってください」ではなく「護りきりなさい!」と祈れば良いのです。そこに大切な命があるのだ、何故護らぬか?!でよいのです。
なぜなら諸天善神は、法華経の行者を護るという使命を果たすために存在しています。
時間の猶予が無い時。豪雨にわが子が呑み込まれそうな時。

全身全霊を込めて、全宇宙の神を一切、限られた時間の中で動かすのです。

 

では諸天善神はなぜ法華経の行者を護るのでしょう?

助けたいその人が法華経を受持し、法華経を保ち、次の法華経の行者へと拡め伝える(広宣流布)ために護るのです。つまり一切は広宣流布のためー究極はこれに尽きます。
だからこそ忘れてはいけないのが、命を法華経によって救われた時、そのことに素直に感謝し、心の余裕ができた時に、今度は他の人にそれを教えてあげればよいのです。これを折伏(しゃくぶく)といいます。貴方が幸せになり、その幸せになっていく様を通して、それを次の人に伝える、これを恩に報いるとも云います。

 

命あっての仏法です。命があればこそ、使命があるので、如何様にも全宇宙の善神すべてが、貴方の大切な人・国土を護ります。「命あれば法華経につくために」、です。
その時奇跡は起こります。「広宣流布のために叶え給へ」。
病気も。貧困も。縁も。環境・国土世間も。
貴方自身が、貴方が伝えた次の大切な人が、幸せになるために。…仏法とは全民衆のためにあります。