久遠の太陽ー法華一門の物語

久遠の昔に虚空会(こくうえ)において、同じ時を過ごすことを決め、生まれ合わせた友がいることを皆さんはご存じでしょうか?はるか昔何に命を途(みち・と)するのかも既に誓い合わせています。馴染みのない仏法を、性別・年齢・国籍を問わず。身近な精神性として活用されるよう祈ってやみません。どうかいつも笑顔でいられるように。欲しいものを易々と引き寄せられるように。環境さえも自在に変えゆくことが出来ると気づくように。平和な世界が訪れる時を待って。すべての友・同志にこのページを贈ります。このブログは随筆です。

創価学会の意外な一面

創価学会総本部…非常に堅苦しいイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと…。
ここでは、創価学会の魅力的で意外な一面をご紹介致します。


創価学会総本部●
 東京都新宿区信濃町。駅を降りてすぐ…。
 目の前はもう創価学会総本部の建造物がズラリ立ち並ぶ地域。世界有数の宗教団体という堅いイメージとは違う、外部の方が十分楽しめるコーナーのご紹介です。
 何も予定のない午後。大切な方と。観光旅行の一部として。ぜひご活用下さい。素晴らしい笑顔のスタッフがお待ちしています。
 
 ・常楽園 印象的な石門と二頭の吼ゆる獅子。春になると満開の桜と、四季折々の約60種の樹木。美しいメロディを奏でる時計台のある公園です。ホッと一息つきたい日にぜひお立ち寄り下さい。
車いす対応あり。10時~16時。入園自由。
 
 ・創価文化センター 平和と友情と希望を発信するセンターとして2012年12月に開館されました。
非常に明るいエントランは、3Fまで吹き抜けになっており照明は七色に変化します。
世界の創価の活動内容をデジタル展示フロアでご紹介。タッチパネルや音と映像で楽しめます。ここでしか鑑賞できないシアターもあります。様々な内容ですのでお時間には少し余裕をもってご訪問下さい。
キッズルーム・授乳室・休憩室あり。ベビーカー・車いすの貸出しあり。10時~17時。入館票記入あり。

 ・民音文化センター 1963年池田名誉会長設立の、真っ白い建物が印象的な民主音楽協会。世界でも数少ない音楽博物館が併設。時間を超越したひとときを、音と共に過ごされてはいかがでしょう?
   自動演奏楽器室…約220年前に誕生し、約140年前から現代に至るオルゴールの世界と自動人形。トーマス・エジソンの発明により大きな変革をもたらした蓄音機。文豪トルストイも鑑賞したことのあるという自動再演ピアノは、1000本以上のクラシックの名曲を奏でます。
   古典ピアノ室…1793年製のシュトロームモーツァルトが愛用した同型「アントン・ワルター」をはじめ、16世紀から20世紀にわたるチェンバロや古典ピアノを公開展示しています。古典ピアノから現代へと、時代と共に変わりゆくピアノが貴方の非日常を創り上げます。
車いす対応あり。休憩スペース。平日11時~17時。日曜・祝日10時~16時。
  http://www.sokanet.jp/pr/sohonbu/facilities/bunkacenter.html


東京富士美術館● 東京八王子にある、西洋絵画500年の流れを一望できる油彩画コレクション。「世界を語る美館」をモットーとし、世界各国の貸出の難しい国宝級の美術品が、期間ごとに展示されています。非常に貴重なお時間を人生の数ページに。
 http://www.fujibi.or.jp/


●詩 第3代池田名誉会長の意外な一面●
 ・秋桜の風  池田先生の世界、皆の世界 http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1334118.html
 ・雪柳 光の王冠  世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。 http://kosenruhu.ldblog.jp/archives/1311539.html    
 ・京都の「紅の秋」 ただひたすらに「きょうもまた、あすもまた」と。 http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1568311.html 

"究極の祈りとは” ”祈りの極意とは”

三世十方の諸天善神に祈りを届けます。この場合は釈迦・多宝・日天・月天です。
私たちはあくまで個々の命です。その小さな存在のはずの命の奥低に仏界が存在します。普段は忘れている仏性を南無妙法蓮華経という大宇宙に通ずる言葉で呼び顕すのです。では、諸天善神とはいったい何なのでしょう?

 

………………………

諸天善神とはー法華経の行者を守護する善神のこと。民衆・国土を守り、福をもたらす働きをもつ、梵天・帝釈・八幡大菩薩天照大神・四天王をはじめとする一切の諸天・諸菩薩の総称。

「諸天昼夜に、常に法の為の故に、しかも之を衛護す」とあり、法華経の行者の守護を誓っている。

更に、末法法華経である三大秘法の本尊の中にも諸天善神がしたためられている。
        文献 日蓮大聖人御書辞典(池田大作監修 創価学会教学部編)より

………………………


この諸々の善神に助けを求め、援護をしてもらうのです。考えずとも、否応なく一番よい形で、私たち法華経の行者を「昼夜に法のためこれを衛護す」とあるように護り始めます。知識なくとも、詳細を知らずとも心配要りません。諸天善神に只「護り給へ、諸天よ働き給へ」で良いのです。
自分だけで祈ろうとせずに宇宙の善神の力を最大に借りてください。
心を敏感にしていると諸天善神の働く様がよく判るようになってきます。これと同時に障魔の働きも見破るようになるでしょう。障魔(宇宙の反作用の働き)については ”仏法に無駄はない!”のテーマに載せています。

 

では、一切を簡単に叶える冒頭の祈りの極意とは何なのでしょう?

 

広宣流布」。実はこの一言に一切の祈りが包含されます。

 

仏法の究極の目的こそが広宣流布だからです。つまり全体法の目的は広宣流布であるがゆえに、ひとりひとりの祈りは当然この中に含まれてしまいます。
宇宙根底の一切法が仏法です。全生命の法則を説いたものが仏法なので、個人の経済・健康・繁栄から家族、地域、国家、環境、国土、宇宙まですべてがこの中に包含されることとなります。
ですから宇宙の神々である梵天・帝釈さえも動かし行くことが出来るのです。

広宣流布のために…健康に」「広宣流布のために…豊かに」「広宣流布のために…環境をよくしたい」


初めはきっとピンとこないでしょう。
私もそうでした。ピンとくるはずがないのです。個人の満たされない現実を良くしたい、という思いで祈り始める人が殆どです。それでいいのです。ただ、早く祈りを叶えたければ、まず、日々の祈りの前に「広宣流布のために叶え給へ」と形だけでよいので付け加えて下さい。
最初はいわゆる真似です。言葉だけの真似がいつしか本当の事となり、加速度的に祈りを叶えるのが早くなります。宇宙の神々でさえ動くのですから当たり前です。いつしか、自分だけでなく、自分の大切な人だけでなく、見ず知らずの人や国土さえも、本気で幸せにと祈れる自分に変わっていきます。


祈りには三世十方の諸天善神の力を借りましょう。貴方を、貴方の大切な人を。法華経の行者を護るため諸天善神は存在します。


もし、貴方の子が豪雨に今にも呑み込まれそうになったら、どうされますか?手術室にいる家族を自分ではどうすることもできない時、貴方ならどうされるでしょう?手を出すことも出来ず、遠目に見守るしかない状況の中で、人は、祈ることしか出来ない事が多々あります。

 

どう祈りますか??
一切の諸天を瞬間に揺り動かし、貴方の持ちうる一切の生命力により、限られた時間の中で、もう二度とは無い時に、自分の命を使い切るように祈るのではないでしょうか?
それほど一人の命とは尊いのです。
遠慮なく全諸天善神の力を借りましょう。場合によっては命令さえして構いません。「守ってください」ではなく「護りきりなさい!」と祈れば良いのです。そこに大切な命があるのだ、何故護らぬか?!でよいのです。
なぜなら諸天善神は、法華経の行者を護るという使命を果たすために存在しています。
時間の猶予が無い時。豪雨にわが子が呑み込まれそうな時。

全身全霊を込めて、全宇宙の神を一切、限られた時間の中で動かすのです。

 

では諸天善神はなぜ法華経の行者を護るのでしょう?

助けたいその人が法華経を受持し、法華経を保ち、次の法華経の行者へと拡め伝える(広宣流布)ために護るのです。つまり一切は広宣流布のためー究極はこれに尽きます。
だからこそ忘れてはいけないのが、命を法華経によって救われた時、そのことに素直に感謝し、心の余裕ができた時に、今度は他の人にそれを教えてあげればよいのです。これを折伏(しゃくぶく)といいます。貴方が幸せになり、その幸せになっていく様を通して、それを次の人に伝える、これを恩に報いるとも云います。

 

命あっての仏法です。命があればこそ、使命があるので、如何様にも全宇宙の善神すべてが、貴方の大切な人・国土を護ります。「命あれば法華経につくために」、です。
その時奇跡は起こります。「広宣流布のために叶え給へ」。
病気も。貧困も。縁も。環境・国土世間も。
貴方自身が、貴方が伝えた次の大切な人が、幸せになるために。…仏法とは全民衆のためにあります。

 

”南無妙法蓮華経”の音律

 宇宙根源の法である法華経の音そのものを研究した、著名な学者さんがいらっしゃいます。有名なFBI捜査に加わった方です。
故フィリピン大統領暗殺事件の犯人を音によって解明した方です。

 

 その学者さんは、毎朝クラシック音楽を聴きながら、朝食を摂るのが日課でした。なんともすがすがしい朝です。
ところが、その隣家からは、毎朝「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。」と何ともしれない読経が聞こえるそうです。
ご自分なりの朝の優雅なひと時と対照的な読経の声。はた迷惑な思いもありながらの朝の日課でした。
ところがある朝、その読経の声がまったく聞こえなくなりました。初日はさほど気にすることなく1日をスタート。次の日も。また次の日も……。

 

 しばらくしてその学者さんは、ご自分の体調の変化に気付かれたそうです。
読経が聞こえていた毎日と、まったく聞こえなくなった毎日。明らかに体調が違います。


しばらくして、隣家の学会員さんはご自宅にお戻りになりました。
また、毎朝読経が聞こえ始めます。
すると、不思議なことにその学者さんは体調がまた戻ったそうです。

 

 この著名な学者の先生は、音の研究家でした。音楽ではなく、音そのもののを研究をなさっています。
そこで「南無妙法蓮華経」の音を研究してみることとされました。
読経の声を録音し、早速ご自分の研究室へ。ありとあらゆる現存データから「南無妙法蓮華経」と同じ音を照合していきます。

……ありません。

なぜだか「南無妙法蓮華経」と同じ音の波調が存在しないのです。

何万、何億、何十億という、膨大なあらゆるデータと照合していきます。
やっと見つけた合致する2つの音とは。

 

 

法華経

南無妙法蓮華経は生命の法則。宇宙根源の法と謂われています。
それを証明するかのように存在したたった2つの音。ーそれはやはり生命の源と宇宙の産物でありました。

1つは胎児が母親の胎内で聴いてくる胎音。十月十日、皆等しく聴く生命の源。
そして、もう1つが、宇宙から地球に降ってきた隕石だったと云います。
 

一分も違わず生命と宇宙の法則。

生命そのものを、仏と謂います。

祈りは叶うべくして叶う。

 

この不思議なる妙なる法。
一切衆生救済のために、一切を投げうった一人の宗教家ー日蓮

七百数十年前の宇宙からの贈り物です。

 

未来を創るこども達へ。ーいじめと差別

最近悲しいほど、いじめと差別が起こっています。

なぜいじめが起こるのでしょう?差別とは?

 

「差異を認める」という言葉があります。

差異とは…他のものと異なる点。ものとものの違い。差。  「デジタル大辞泉」より

 

どうでしょう?

太っている・痩せている、背が高い・低い、色が白い・黒い、体が不自由だ、具合が悪そうだ。等。

これらを認め、気づくのは、差別でも偏見でもありません。

気づくことで思いやりが生まれます。気づくから差異を理解しようとします。理解するには努力が必要な時もあるでしょう。人には好き嫌いがあり、差異を受け入れるには時間が必要な時もあります。

ですが、「差異に気づく」こと自体は決して差別ではありません。相手と自分が好き嫌いの感情を認識しても差別ではありません。

それを行動に出すことーこれを差別といいます。

差別とは…取り扱いに差をつけること。特に、他より不当に低く取り扱うこと。   「小学館」より

   

 ※

以前のことです。障害がある方又は体調不良の方に出会うことがありました。

当然、差異に気づきます。気遣いを始めます。場合によっては声をかけます。

こちらから「具合お悪いですか?」。


それでは、相手は??

尋ねただけで、差別を受けたと思う方がいます。

なぜでしょう?多くは彼ら(差異を認められやすい方)の過去の経験に基づく感情のー連鎖反応です。

以前に差異を認められ嫌な経験をしたことがある。

差異に気づき、相手の方が、貴方にどのような感情を抱いても、本来は貴方が責める問題ではありません。好き嫌いがあり・他者を受け入れることに抵抗を持つことーは人間の能力だからです。

差異の認識という能力によって、危害を加える者に気づくことさえあります。泥棒や暴漢等。

 

では、前術の障害・体調不良の方の場合は?

 

本人またはそのご家族側が、体調が違うということをさりげなく伝えたらどうでしょう?相手が差異に気づき、”どうしたのだろう?”と思っている時に、自分達側のご事情を、さりげなく伝えられる範囲で。

そうすることにより、短時間で理解が深まります。どう対処したら相手が快適なのかも。自分たち側の過去の経験による「逆の偏見」ー相手から差別されているという思い込みを短時間で解消できる事があります。

 

本当に、差別で嫌な思いを繰り返し受けているのであれば、処世術として、相手の理解を自分から促すのも本人たちの課題ではないでしょうか?あくまで伝えられる可能な範囲で。

 

背が低い・高い、太っている・痩せているという差異について、明らかに嫌な顔をする…等は差別でしょう。

好き嫌いがある・差異を認識し受け入れるのに時間がかかるのは責めてはいけない範囲です。

差異を認識するのは能力。好き嫌い・すぐに受け入れられるかどうかは感情。それを基に行動して初めて「差別した」ーとなります。

差異に気づく事と差別する事を区別する。本来の共存共生といえるのではないでしょうか?

 

では、なぜ「いじめ」は起こるのでしょう?

一言で言うと「自分と他人のものの区別がつかない」からです。

何を区別しなければいけないかは、物・人・テリトリー・感情等です。本来、これらはすべて、他人と自分との境界線を持たなければならない、命の尊厳に関係します。

昨今、自分と他人を区別出来ない人があまりにも多すぎます。

家庭で一番最初に教えるべき問題です。区別する事で、子どもが大人の所有物ではなく、自立した個人として成長します。

区別するから、自分(大人)とは違う能力・個性の人(この場合はこども)に教え、諭し(さとし)、導くことができるのです。必ずしも人は、大切な存在(こども)を、いつまでも守ってやれるとは限りません。できるだけ早い時期に大人の方がそれに気づくと、自立心・成長する能力に良く働きかけることがあります。

 

「貴方と自分は別の人」「貴方と自分は別の特徴・役割」ー仏教では黄梅桃李(おうばいとうり)と言います。

貴方という存在は、そのまま存在するだけで十分だ。ありのままで尊重されるべきだという根底思想に基づき、人は皆違い、本来の個性のままに尊重され、生かそうとする考え方です。

 

では、物を区別する事は比較的わかりやすいですね。テリトリーも。

人の物と、テリトリーを区別するのは当然です。

では、人と感情は?? 

違って当たり前、自分が思う通りに相手が思うとは限りません。自分が思ってほしいように、相手が思ってくれるとは限らないのです。感情さえ、自分と他人とは違う、別のテリトリーです。

 

この原理原則を忘れ、あまりにも幼稚に、人を思い通りに支配したい・また自分と同じように思ってほしいというエゴィスティックな考えで行動してしまう。

この原理原則を忘れた時に、人は人を支配し、権力や暴力、言葉により、「自分とは違う別の人」に精神的・肉体的危害を加えます。物・テリトリーはどうにか区別しても、人物・人の感情は自分の思うままに支配しようするのです。もしくは自分と同じように思わなくてはいけない・言わなくてはならない等…。

 

具体的に、砂場で、自分の子が人を押したら気づきましょう。いけないこととして。謝る術を教えましょう。ー有益な次の人間関係を創るために。

列車で座っていて、自分の子が他の人(大人でも)に迷惑をかけたら、諭(さと)しましょう。子どもは尊重される存在ですが、子どもという理由だけで偉い存在ではないのです。ーそれを教えるために、周りの大人、特に親がいます。子どもでも出来る範囲で「ダメなことはダメ」なのです。

基本的なことを幼少期に教わっていないと、成長してからも、平気で人の物・テリトリー、多くは感情・人そのものに手を出し始めます。

”この友達すごいよね・仲間だよね”…貴方に尊敬できても人も同じように感じる必要はありません。感じ方が違い異質だと、気に喰わない、陰湿な仲間はずれが始まります。同じように群れをなして、行動する必要はないし、同じように口を揃えて良しとする必要はないのです。…人は違う感じ方のまま、その時々に、その場を共有するものなのです。

”あいつ横着だ!”…横着でしょう。それは貴方が勝手に思っていれば良いのです。横着に感じるという理由だけで、貴方でない別の人の体や心に手を出すことは絶対に許されません。場合によっては、その人の持っているバッグまで取り上げ、川等に投げ捨てようとすらします。ーその人の体や持ち物・感情は、友人であれ、親子であれ、上下関係であれ、絶対に貴方のものではないのです。

 

自分の利害関係または自分の立場を保つための良所は、他人と必ずしも同じではなく、本来は、人に併せて良しとする必要さえありません。他人の持ち物・他人の人間関係・他人の体・他人の心。すべて自己都合の、自分のための持ち物ではないのです。

 

自分と同じでない、好みでないことを理由に、人の心・肉体・行動の束縛をし、手を出す(行動や言葉)ことがいじめなのです。本来は、他人の感情すら自分のものでないのだから、自分と違う感情の持ち主を絶対に責めることはできません。ましてや物理的に危害を及ぼすなど論外です。

気に入らなければ話し合えば良い。理解できなければ離れれば良い。この「理解できなければ離れれば良い」という点が大切です。

自分のものでない他人というテリトリーに、差別という行動で自分が手を出してはいけないのです。

 

どうせ自分が中心なら、自分に因がある(因果応報・いんがおうほう)を考えてみてはいかがでしょう?人が違うのが原因ではなく、自分の感じ方・行動に本来は原因が有り、それが多数集まり、相互作用を起こしながら人間関係・社会が成り立っています。独立した、”自分に原因が有る”という個人が、集まったのが集団です。

 

※ 

仏法は万人に等しく与えられた思想の宝です。

この宇宙根底の法だけは、例外もなく、皆平等であります。この法を命のベースとすることが、思想です。

私達は世界に、万人にこの思想を伝えていくことを、自分の命のテーマとしています。

何に命を使うのか、使命ともいいます。

 

人と人。1+1は100にも200にもなります。1万にも2万にも。

このブログのテーマである久遠の同志・友を仏法により、呼び顕す。偶然に思える家族も実はそうです。

家族にいじめを相談できなければ、自分より知恵を持った人に相談すれば良いのです。

相談する人がいなければ、創価学会の文化会館には経験豊富な人たちが必ず待っています。

解決できる命を自ら絶ってしまわずに、どうか違う場所・解決の仕方をもう一度見つめてください。

私にもぜひご連絡ください。terumi.waxingmoon23@gmail.com 池田輝美

 

差別やいじめではなく、悠久の時からの友を仏法により、探してみてはいかがですか?ぜひ待っています。

 

未来を創るこども達へ。ー使命

「頭がいい人」とは「絶対にあきらめない人」

もちろん、成績はよいほうがいいに決まっている。だけれども、「今まで成績が悪かった」から、自分は「頭が悪い」なんて絶対に思ってはいけないということです。

それは、自分に対する「冒とく」です。仏法でいう「仏性」を否定することになります。

君たちは、だれでも一人も洩れることなく、いっぱいの可能性を閉まってある「宝の箱」なのだから。

皆が、違っていて、皆が何かの「天才」なのです。それを「使命」という。だれもが自分だけの、自分にしかできない使命を持っている。

使命があるから生まれてきたのです。そうじゃなかったら生まれてこない。

無数の星がある宇宙の中で、「この地球」に、「この今」という時を選んで、君が、あなたが生まれてきた。

それは絶対に「偶然」なんかじゃない。何か「意味」があるから生まれてきた。生まれてくることが「いいこと」だったから生まれてきたのです。

自分にしかできない「使命」があるのです。必ず何かの「天才」なのです。

今、それが何なのか分からないだけです。だから絶対に自分をダメだとか、頭が悪いなんて思っちゃいけない。

そもそも、いわゆる「頭がよくて」も悪いことをする人もいる。

それよりも「人を励ます天才」になったり、「人を元気にする天才」になったほうが、どれだけ素晴らしいか。

周りの大人も、「この子は、自分よりも、ずっとずっと世界に大きな貢献をする人にちがいない。自分たちを大きく乗り越えていく人なんだ」を信じて、尊敬して接してもらいたい。

だれもが21世紀の「希望」です。かけがえのない「未来の宝」です。

結論を言えば、「頭がいい人」というのは「絶対にあきらめない人」です。

わからないことから逃げるんじゃなく、「何としても、分かろう」と「攻めていく人」です。その「強い心」の人が、頭のいい人なんです。

社会に出ても、「わからないこと、苦しいことから逃げない」という心がある人は、必ず勝っていきます。

他人と比べてもしょうがない。

「昨日の自分」よりも、今日は一歩、前へ進んだ。

「今日の自分」よりも、明日はこれだけ頑張ろう。ーそういう1日1日であってほしいのです。

                                  池田大作「希望対話」より抜粋

未来を創るこども達へ。ー可能性

「大人と子どもの能力の違いとは?」

この問いに、臨床心理士の網谷由香利さんは答える。「大人は言葉中心で意思疎通するが、子どもは言葉よりも感覚を重視する」。そして「時には大人以上に本質を鋭く理解する」と。自分の思いを、すらすらと正確に表現できる子どもは少ない。                      しかし、表現できないからといって「分かっていない」わけではない。時と場合によっては、子どもは大人以上に鋭敏だ。

子どもの秘めた力を信じられるかどうかで、親子関係は随分と変わるだろう。信じればこそ、できることは子どもに任せ、自主性を伸ばすことができる。信じられないと、子どもの行動に過度に干渉し、伸びる芽を積むことになりかねない。

夜回り先生」こと水谷修さんが、今も大切にする言葉があるという。「ちゃんと前を向いて頑張れる子だと信じています」ー荒れていた自身の思春期時代、学校に呼び出された母が、教員に言った言葉だ。

何があっても子どもの力を信じ抜く。その母の姿勢が、大きな励みになったという。

御書には「木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない」(1468ページ・日蓮大聖人御書・通解より)と。「信じる」ことこそ、大樹を支え育てる最大の滋養となる。

                            聖教新聞2011.7.10「名字の言」より抜粋

 

 

久遠の太陽ー世界広宣流布のご提案

 

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世界広宣流布のご提案です。様々な方に広くご高覧頂けることを願います。

 

こちらは創価学会内部者への掲示板です。個人活動です。外部の方もご興味のある方は、ぜひご訪問お待ちしています。上段には各国翻訳タブあり。下段にEnglish版あり。下種・折伏活動にぜひご活用下さい!

 

 

「世界広宣流布とは…全世界の平和と人類の幸福のため、仏法を広く世界に弘め伝えることで、平和な社会を築きゆくこと。仏法理解の文化活動です。」

 

 

 

すべての同志に贈ります。

 

 「これは話として聞いていただきたい……」

 『大智度論』には、次のような説話があります。

 「舎衛(しゃえ)の中に九億の家あり、三億の家は眼に仏を見る。三億の家は耳に仏有ると聞くも眼に見ず、三億の家は聞かず、見ず。仏舎衛国に在(あ)ること二十五年而(しか)も此の衆生は聞かず見ず、何(いか)に況(いわん)や遠き者をや」(大正蔵25-125)


釈尊が25年間にわたり法を説いた舎衛国においては、実際に釈尊を見た人は全体の3分の1。さらに3分の1は、仏のいることを聞いたが、見たことがない。残りの3分の1は、仏を見たことも聞いたこともなかった―というもので、つまり、仏に遭(あ)い法を聞くことがいかに難しいか、ということを説いたものです。
 

 

 現在の創価学会では、この舎衛の三億という言葉は殆ど聞かなくなりました。

が、ある時期より、創価学会の歴史をもって下種・折伏を考えた折、誰にでもできる下種・折伏方法を思いつきました。

今ここで皆様にご紹介させて頂きたいと思います。

 

「仏法のお話をさせて頂く」…これは特別なことでも、活動家だけに限ったことでもありません。どのような状況下にある人でも、日々の生活の中で。日々の活動として、習慣として。いとも簡単に下種・折伏できる方法をご提案致します。

 

「いとも簡単に」といっても下種・折伏を簡単に捉えるという訳ではありません。

ひとりの方への下種・折伏は利他の祈りで大切に大切にさせて頂きます。そして又、次の利他の祈りと行動へと、確実に繋(つな)げるのです。

 

ぜひ、活用されるよう祈ってやみません。

 

 

 

「すべての同志に」

 

これは私なりに思いついた方法です。きっかけは2013年創価学会創立記念日に向け、自分で決めた折伏目標が短期戦であまりにも!!きつかったから、という全く単純な理由でした。

 

日々無理なく、日々楽しく。折伏がまるで、ライフスタイルのように…。

 

第3代池田名誉会長ーあの伝説の「大阪夏の陣」。

「1人から1人に」。

 

2014年1月号大百蓮華には、池田先生の当時の活動が掲載されています。

 

今回考えついた折伏方法は、遠くに行けなくても、病気療養中でも、忙しくとも、対話の勇気がなかなかなか持てなくても。

必ず・出来ます。

 

当時の池田先生個人の戦いを、同志皆で一斉に展開するのです!

「剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、」(P1360)

日蓮大聖人御書全集「諸法実相抄」には広宣流布の様子が上のように記載があります。

 

この簡単な方法だと、単純計算で、仮に世界人口の約3分の1以上ですら、約1年で聞法(もんぽう)下種することが可能です。

それも活動家だけで十分です。

 

原田会長が2013年創立記念日におっしゃった、世界広宣流布への黄金の3年。

まずは毎日下種!毎日折伏!が目標です。

その後の数年で、「学会創立以来蒔かれた仏種すべてを、入会に!」という思いで対話活動していく。

もちろん下種だけでなく、力があれば、十分な対話活動も同時進行される方もいらっしゃるかと存じます。

反対に、遠隔地等の理由により、下種した方への折伏が、その後難しい場合には、現地会員さんに継続して対話をお願いしてもいいかと思います。

 

要は、創立以来蒔かれたすべての仏種を、誰の折伏・下種かに拘(こだわ)らず、すべてを刈り取る、というくらいの思いで。

大切なのは誠実な態度と、世界広宣流布拡大への”思い”です。


時は、当(まさ)に、順縁広布。

順縁の方もいらっしゃれば、今世よき理解者、もしくは毒口(どっく)の縁かもしれません。お相手の反応は恐れず、まず声をかけること。まず接点を持つこと。

下種した方の人数が膨大になるので、その後の対話が必要な方は、現地会員の方を信頼して対話をお願いする。


折伏の基本は、「目の前の人に直接会いに行き対話する」。

ですが、ここではご自分ひとりで頑張らずに、遠隔地の創価学会組織ともネットワークを組み、距離・時間・金銭的に無理な状況であれば、現地の会員さんにその方の状況を的確に伝え、その後の対話をお願いする。

但し!「信頼のおける学会会員さん」としてください。現地学会幹部の方・会館運営の方にお願いするのが安心でしょう。下種した方は現地の幹部の方との、常日頃からの信頼関係と連絡網が必要となります。

 

 これで世界広宣流布の頂きは、現実のものとして見えてきます。

 


 以下が、私なりの具体的な数字と下種方法です。ぜひ参考にして下さい。

 

「1人から1人に。また別の1人に。」

聖教新聞の切り抜き等をお渡しします。

新聞の切り抜きや先生のメッセージ等を活用します。対話が苦手な方でも驚くほど簡単です!

 

創価学会発刊の新聞・文化紙の切り抜きです。ぜひご覧下さい!」と、伝えるだけなら可能なのではないでしょうか?

遠隔地には郵便やショートメール(携帯番号入力・自分のメッセージ・送信したい記事の貼り付けのみ)。SNS(コミュニケーションサイト・気の合う仲間とのネット上の会話広場)も書込みする事で下種・折伏できます。

病気療養中、経済的に厳しい方、勇気がない方。お相手の携帯番号に直接ショートメールで送信できます。「創価学会の新聞・聖教ネットや創価学会公式ホームページです。ご興味があればぜひご高覧下さい。(無料です)」。

但し、明らかに悪質だと思われる方は避けましょう。

高齢の方でも可能です。ご親族やお孫さんと毎日楽しみながら下種に挑戦してはいかがでしょう。


計算してみてください!日本の活動家だけで毎日実行した時のことを。その人数が増えていく様子を。今回は、普段下種・折伏できない方々も毎日のこととして、確実に実行する方法のご提案です。 利他の祈りを忘れないで下さい。 


インターネットは実に多宝の山です!
毎日「新しい1人に」が可能です。
その後、下種の方と縁が深まった時に、感謝で次のアクション(行動)ー対話をすればよいのです。 下種と折伏の福運は全くもって一緒です。 
行動すればすぐに分かります。1人お渡しすれば、如実に昨日の自分と違っていることが。

…つまり瞬間に宿命転換していることが、毎日下種・折伏することで手にとるように解(わか)ります。

本当に素晴らしい体験です。
あっという間に宿命転換し、その時頂いた功徳をまた、次の利他の祈りと行動へと確実に繋げましょう。


毎日が下種。
「毎日1人から1人に。また新しい1人に」。
世界192ケ国で活動すれば、世界広宣流布の拡大は甚大な歴史となります。 なぜ具体的な数字を計算するのか?! このページの冒頭の舎衛の三億を思い出して下さい。時代によりこの割合を耳にすることは殆どなくなりました。ですが一見途方もない数字が、実に簡単に実現するのだと、お伝えしたかったのです。

 

以前に、世界広布達成の日の朝、久遠元初の太陽が燦然と輝く様を観(み)ました。

 

広宣流布の未来図は久遠の昔にもともとあったようです。それを今世再び顕現するのです。 
ぜひ実行してはいかがでしょう?!

これと同じ内容を世界中に提案します。実行した下種の人数を、ぜひご連絡ください。学会総本部に月に2度定期的に報告したいと思っています。 terumi.waxingmoon23@gmail.com  ご連絡お待ちしています。 

では、また。今世も共に。全同志の方へ。
このような通信手段とサイトの提供に心からの感謝を込めて。                      筑後総圏久留米中央本部創価六ツ門支部大光地区  池田輝美

久遠の太陽ー法華一門の物語

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久遠の昔より、虚空会(こくうえ)において、同じ時に生まれ会わせることを約束した友がいることを、皆さんはご存じでしょうか?その時何に命を途(と・みち)するのかも決めて生まれ会わせています。それを使命といいます。

 

このブログでご紹介するのは鎌倉時代日蓮大聖人の法華経です。

 

あまり馴染みのない仏法を、性別・年齢・国籍を問わず、身近なものとして受け止められるよう構成しています。ご興味のあるテーマからご一読ください。
もっと身近な精神性として。日々のライフスタイルとして。

仏法を活用されるよう祈ってやみません。

 


どうかいつも笑顔でいられるように。どうか欲しいものを易々と引き寄せられるように。廻りの環境さえも自在に変えゆくことが出来ると気づくことができますように。
平和な世界が訪れる時を待って、すべての友・同志へ贈ります。